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更新:1999.1.6
東京競馬記者クラブ賞に蛯名騎手
東京競馬記者クラブ(加盟19社138人)は、 1998年度の同記者クラブ賞に
蛯名正義騎手(29歳、美浦・フリー)を選出した。
自己最多の136勝で初の関東リーディングジョッキー。 その中身もジャパ
ンカップ(エルコンドルパサー)を含む重賞14勝、また、 年間騎乗回数777
回のJRA新記録など、当然の受賞だった。
蛯名騎手は初の選出に「フランスGTを制したタイキシャトルと、その関
係者の偉業をさしおいて選ばれ、驚いているし、大変光栄です。この賞に恥
じない活躍をしなければと、身の引き締まる思いです」と語った。
ダンシングブレーヴ元気さ取り戻す
疝病症状が心配されていた種牡馬ダンシングブレーヴ(16歳)は12月28日、
食欲を取り戻し、元気になってエクワインメディカルセンター(北海道静内)
を退院した。その後、繋養先(静内種馬場)で順調な回復ぶりという。
ダンシングブレーヴは1983年(昭和58年)生まれ。英仏米で10戦8勝、2
着と4着が1回ずつ。GTは凱旋門賞、キングジョージY&クイーンエリザ
ベスS、エクリプスS、英2000ギニーの4つを数える。2回の敗戦、一つは
英ダービー2着(勝ち馬シャーラスタニ)、もう1回は引退レースとなった
アメリカのBCターフ。マニラの4着に敗れたが、この時、イギリスでは(
敗れたことが)ビッグニュースとして流されたというほど、多くのファンに
親しまれていた。その後、イギリスで種牡馬入り。産駒に恵まれなかったが、
日本へ輸出された後に、コマンダーインチーフ(1993年の英・愛ダービー馬)
を輩出し、同年の英・愛リーディングサイアー2位に進出したのだから何と
も皮肉だった。1987年(昭和62年)にマリー病を発症し、そのためにイギリ
スが手放した。こういう奇病におかされなければ、ヨーロッパの英雄が日本
へ来ることもなかったであろう。日本へ来てキョウエイマーチ、キングヘイ
ローなどを生んだことからも、その導入は成功とみてよい。元気になって、
もっともっと強い馬を出してほしい。
マリー病は、1890年にこの病気を発見したオーストラリアの医師の名。鳥
の結核のような病気で、四股に痛みが出、骨膜が腫れる。
ペリエ、サンダースに短期免許
JRAはフランスのオリビエ・ペリエ騎手、イギリスのセバスチャン・サ
ンダース騎手に対し、1月1日付けで短期免許を交付した。ペリエ騎手は2
月28日、サンダース騎手は3月31日までとなっている。
オリビエ・ペリエ騎手(1973年1月12日生まれ、25歳)は5年連続の短期
免許で来日。12月阪神では外国騎手として初のJRA通算100勝を記録するな
ど、もはや説明の必要などないくらいだ。身元引受人は武邦彦調教師と馬主
の吉田照哉氏。
セバスチャン・サンダース騎手(1971年9月25日生まれ、27歳)は初来日。
1990年にイギリスで見習免許を取り、1995年に最優秀見習騎手。翌1996年に
イギリス騎手免許を取得し、その年97勝でいきなり英リーディング8位。19
97年にはGTのジュライCなど105勝を挙げて同6位、1998年も10位以内の成
績を残している。身元引受人は美浦の和田正道調教師と馬主の吉田勝己氏だ
から、こちらは関東エリアで騎乗することになろう。
初日の京都8Rで5頭が転倒
1月5日の1回京都競馬8R(5歳以上500万下)で5頭が落馬転倒、ハッ
とさせる事故が起きた。それは1角での出来事だった。2番手にいたリトル
ハーモニーが内に斜行、それに触れたウイニングアリダー(荻野)が転倒、
後続のフサイチアリアン(酒井学)、ドロテアス(四位)、セイレン(池添)、
マルミラクル(岸)が巻き込まれて転倒した。
この事故でウイニングアリダーは右第4足根骨を骨折し、騎手の方も荻野
騎手は頭部外傷U型、胸部打撲傷、酒井学騎手は両下肢打撲傷、左膝関節損
傷の疑いありとのことで、2人とも蘇生会病院へ運ばれた。
サンダース騎手、4戦目で初勝利
1月5日の1回中山競馬1日目から短期免許で騎乗しているセバスチャン
・サンダース騎手(イギリス)は6日の1回中山競馬2日目1R(4歳未勝
利)カフェリビエラで来日初勝利を挙げた。4戦目のことだった。