競馬評論家の天馬が
中央競馬を辛口批評。
【トーク】
中央競馬にもの申す
競馬予想にも「美学」
「美学」という言葉がよく使われる。「競馬予想の美学」がないか。これ
もきっとあると言える。競馬予想もいろいろな人が関わっている。大レース
ともなれば他業界の著名人が印を打ったり、しゃべったり、ファンはその取
捨に気をつかう。そこで競馬予想の専門家が本職ぶりを発揮して「美学」を
打ち出したい。
それには◎、○、×、△、▲印をやたらに打たぬことである。ある予想紙、
スポーツ紙はどのレースもその五つの印を打つことが基本にするらしいが、
8頭立てでも五つの印を打ってはばからない。そのくらいに力量が拮抗した
レースもあるが、それを絞ってこそ予想であり、競馬予想の「美学」も生ま
れる。
例にして悪いが、神戸新聞杯のダービー2着馬に対してどの印を打つか、
そこに競馬予想の専門家として本職ぶりを示したい。「美学」はその馬に◎
か○印、それと無印である。×、△、▲印を打っては競馬予想の専門家が本
職ぶりを示したとはいえない。ファンはその馬が馬券対象として入用か、無
用かを知りたいのである。
入用で×、△、▲はファンが求めるものと合致しない。出走してきたら人
気にはなる。それを穴の扱いは競馬予想の専門家として恥ずかしい。穴は好
か高配当の裏付けが要る。レース上での穴はファンが求めるものではない。
穴なら馬券の配当がつくことである。競馬予想の専門家は馬券の配当も考慮
しなければならない。その上で打つ印が「予想の美学」になる。